ビッグ・フォアの思い出(母の)

 先ほど、NHKのBSh1で「昭和の歌人(うたびと)たち 中村八大」という番組をやっていました、といっても、同居の両親も一緒にケーキを食べていたところで、ドレミもコピも大騒ぎというなかで観ていたので、内容は殆ど頭を素通りしてしまったんですが、とても丁寧にできた番組でした。歌われる曲はもちろん名曲ばかり、「上を見て歩こう」はドレミも一緒に歌い出し、改めて中村八大氏の偉大さを実感しました。
 ところでこの番組中、ピアニストとしての中村八大を紹介するコーナーで、鈴木邦彦が登場して八大氏の天才的な能力や魅力を語っていましたが、そのなかで少しあの「ビッグ・フォア」についてのお話しがありました。その内容はさておいて、「ビッグ・フォア」という単語に反応した者が1人おりました。僕の母です。
 この話、僕は何度か聞いていたんですが、僕の母は若い頃ビッグ・フォアの演奏会に行ったことがあるのだそうです。まだ結婚前、郷里の大阪で。母の話しをそのまま書きますと「甲子園球場だったか、とにかく野外で広い会場での演奏。予備知識がなにもない状態で行ったんだけれどとても素晴らしい演奏で、ジャズって素敵だなあって思ったものよ。」とのこと。記憶に残っているメンツは中村八大、ジョージ川口小野満松本英彦だといいますから、それはつまり「オリジナル・ビッグ・フォア」だということになります。50年以上前のことですし、母もその後ジャズをちゃんと聴いてきただけではないので記憶の整理が不確かだし、後付けの知識が混入している可能性もあって息子としてはフムフムと聞くような話しなんですが、今日は少しディテールが補完されました。曰く「そのときに新人の女性歌手が出てきて歌ったのよ。その子が雪村いづみだったの」。
 念のため調べてみたら(Wikiですけどね)雪村いづみのレコードデビューは1953年の4月。オリジナルのビッグ・フォアは1953年1月からその年の秋まで活動していますから、なんとなく整合性は取れそうです(こちらの情報は僕が持っている「中村八大作品集 上を向いて歩こう」というボックスセットの解説に拠ります)。詳細な年譜や複数の文献などを参照したわけではなく、あくまでここ2時間ほど、手持ちの資料を斜め読みした程度ですが、当時はバンドや歌手が米軍キャンプやジャズ・クラブなどを巡業することはごく普通に行われていたはずですから、この顔合わせはあり得なかったことではないでしょう。ビッグ・フォア自体はメンバーを替えつつ後年まで活動していますが、雪村いづみはその後あっという間に大スターになったそうですから、顔合わせとしてはデビュー間もないころと考える方が自然かも知れません。すると、母の話しはある程度は信頼していいのかな?もしも本当だとしたら、1年に満たなかったオリジナルメンバーでのビッグ・フォアを観たのですから、息子としてはちょっと羨ましいです。
 この文章を書きながら上述のボックスセット収録のビッグ・フォアの演奏を聴いています。今聴くと非常に上品な感触の演奏です。紛う事なきビバップですが、極東のミュージシャンが手探りで本場の音楽を模倣したという「付け焼き刃」な感じはあまりしません。なんというか、堂々としているんですよ。さすが中村八大、さすがビッグ・フォア。思わずジョージ川口のあのホラ話をしている表情を思い出しちゃいました。久しぶりに聴きましたが、とても気持ちいいです。
 母は結婚後ほとんど自発的に音楽を聴くことはなくなり、自分でCDを買ったりするようになったのもここ数年といってもいいほどです(それも山口百恵とか越路吹雪とか徳永とかが殆ど)。独身時代にお友達と行ったというジャズコンサートの思い出話に、まさか息子がこんなに反応するとは思わなかったでしょう。そう考えるとちょっと可笑しいし、改めて中村八大という偉大な才能の影響の大きさを感じずにはいられません。今日は1日爽やかで、今は月が美しく輝いています。こんな1日の締めくくりに、ビッグ・フォアの4ビートはとても心地よく響きます。

中村八大作品集~上を向いて歩こう

中村八大作品集~上を向いて歩こう