ロニー・ジェイムス・ディオさまに、謹んでご冥福を

 今日仕事を終える直前に一通のメールが来ました。中学時代に一緒にロックを聴いていた仲間のひとりで、今はある大企業でそれなりの地位にいる人からでした。今も交流がある昔馴染みですが、就職してからはすっかりロックから足を洗って真っ当な社会人(?)をやっている彼からのメールの内容はこれだけでした。「お久しぶり。ところでこのニュース知ってる?」そしてあるニュースサイトにリンクが。クリックしてみたところ見出しにはこうありました「ロニー・ジェイムス・ディオ死去」。
 もうひとつ、こちらは思い出話。もう10年以上前ですが、友人の結婚式に出出席したときのことです。僕は新郎側の友人でした。新郎も上記の友人と同じく「ロック仲間」であり、聴くだけではなく実際にメタルバンドでベースを弾くほど傾倒していました。さてそんな友人の披露宴で「お色直し」の入場が始まったとき、僕や同席していた友人達はビックリ。なんと入場の音楽がレインボウの「Catch The Rainbow」だったのです。他の来賓のみなさんがなんとなく戸惑っているムードの中、とても嬉しそうにテーブルと回っていた新郎が印象的でした。
 レインボウ、正確にはロニー、コージーがいたころのレインボウの、ここ日本での人気は凄まじいものがありました。観客が事故死するという痛ましい事件が起きるほどの人気でしたね。そのころ(1976年から78年あたり)は、僕と上記の友人達がロックに目覚めたころと時期的に重なりますので、自分自身のロック史という意味でも思い出深いです。中学時代の僕のクラスは男子は殆どがロックを聴いてたというすごいクラスでしたが、その当時のレインボウ、パープル、ゼップ(もちろんキッス、クイーン、エアロ)は絶大な人気を誇っていました。
 僕は正直レインボウにはものすごい思い入れはないんですが、それでもロニーがいた頃のアルバムは(友人から借りたものも含めて)ほとんどリアルタイムで聴きました(でも僕、一番好きだったのが「Long Live Rock’n’Roll」だったので、ちょっと友人達とは違っていました)。冷静に考えれば、78年頃というとロンドンパンクが日本に紹介されはじめたころであり、またヴァン・ヘイレンのデビューもそのあたりでしたから、ロック界全体も大きく変わっていた時期だったはずです。そんな中で、現役で一番「王道」のハードロックを聴かせてくれていたのがレインボウだったかもしれません。
 僕はロニーの活動すべてをフォローしてはいませんでした。持っているCDもほぼレインボウのものに限られるし、書けることと言えば中学時代の話ばかりです。偉そうに「ご冥福をお祈りします」と書くのは、ロニーにも、ロニーを真面目にずっと愛してこられたファンの方にも失礼なような気がします。でも、訃報に接して久しぶりに聴き返したレインボウからは、ロックを聴きだしたばかりのころの思い出が溢れてきました。最初に書いた友人のように、今はロックから離れている人までも立ち止まらせるような、なんというか、「あのころの思い」が。僕と同年輩で同じような気持ち人は、この国にたくさんいるのではないかな?だから僕も、熱心なファンのみなさんがご不快にならないように、この日記を一輪の花として、ロニーに捧げたいと思います。ロニーさま、お疲れ様でした。今日お別れするのは悲しいですが、中学生のときは本当にありがとうございました。どうぞゆっくりおやすみください。

Ritchie Blackmore's Rainbow [ORIGINAL RECORDING REMASTERED]

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