マーティン・ガードナー氏死去

 つい先日ですが、あのマーティン・ガードナー氏が死去されたそうです。
 多岐にわたるこの人の業績のうち、僕が実際に読み、身近に感じているのはもちろん「懐疑論者」としてのものです。いわゆる「トンデモ」の範疇に入る様々なものごとを、きわめて理論的に、しかもある種のユーモアをもって語り、その誤りや欺瞞性を暴いていく力は、それ自体としてとても説得力があり魅力的でもあると同時に、その後の論壇に与えた影響はとてつもなく大きかったと思います。疑似科学に対する批判本は現在それなりに出ていますが、その殆どすべてが参考文献に「奇妙な論理」を挙げていることからもわかります。僕自身、「トンデモ本」シリーズなどでそういうものの予習をし、「奇妙な論理」でしっかりと学ぶことが出来たというふうに読み進んでいきました。
 ガードナーの著作は、そうした「トンデモ」の論証をするだけではなく、なぜ人はそうしたものを考えるのか、なぜそうしたものに騙されてしまうのかにまでしっかりと見据えていました。「奇妙な論理」の原著はすでに60年近く前に書かれたものなのに、この分野の「古典」として読み継がれているのも頷けます。僕はというと、この本の内容ではいわゆる疑似科学そのもの以上に、人種差別を取り上げたもの(「憎悪を煽る人々」)、政治党派性が科学分野に影響を及ぼしたときに起こる不幸を取り上げたもの(「ルイセンコの勝利と敗北」)の2つが印象に残りました。特に「憎悪を煽る人々」は通常こうした疑似科学批判では採用されにくい題材だったのでよけい印象的でした。ただその根っこは他の疑似科学と同様、誤った知識や解釈、先入観や偏見などが人を真実から遠ざけてしまうというものです。まさに「奇妙な論理」は遍在するのですね(余談ですがこの章でガードナーが一貫してアフリカ系アメリカ人をNワードで表記していることが、原著の書かれた時代性を反映していて、ちょっと興味深いです。僕が持っているのは教養文庫のものなので、現行の早川書房のものは改められているかも知れませんが)。
 最初に書きましたが、ガードナーの業績は「疑似科学批判」に止まりません、というか、それは実際には膨大な著作や活動の一部分です。僕はその一部だけを知っているに過ぎないのですが、それでもその著作には大きな影響を受けましたし、ものの考え方、言葉や論理を受けとめるときの心構えを教えてもらいました。先日のロニー・ジェイムス・ディオのときもそうでしたが、本当に故人の全業績を知り、敬愛していた方には及びもつきませんが、僕も片隅で一言の祈りを捧げたいと思います。疑似科学を批判し続けた偉大な先人にこんな言葉ではまるで「死後の世界を信じている」ように見えるかもしれませんが、心からの感謝を込めて、ご冥福をお祈りいたします。

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究 (ハヤカワ文庫NF)

奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか (ハヤカワ文庫NF)

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