なぜU2だけが「許される」んだろう?

 今出ている「ロッキング・オン」7月号を見てみたら、リバティーンズ再結成(解散してたんだっけ?)、ブラーも再結成(こりゃ大ニュースだ。新曲もダウンロードできるらしい)なんて再結成系ニュースが続いていて、思わず「ゼップはないか?」なんて探しちゃいましたよ。終了していたと思っていた「渋松対談」も復活していたし。
 ところでこの号にはあのU2のコンサート「360°ツアー」についての記事がありました。掲載された写真を見るだけで興奮してくるようなものすごい規模のセットのようです。これじゃ日本には来られないでしょうね。DVDが出るらしいので、こりゃ買わないといけないな。
 ところでU2て不思議な存在ですよね。社会的なメッセージを強く打ち出し、常にメッセージ性の強い音楽をやっているのに大人気、いつも「言わずもがな」のことを発言してそれなりの反発や批判もあるのに概ね受け入れられる。9.11のときにはコンサートで犠牲者の名前をテロップで流し、(ボノが)「自分が協力しているチャリティに金を出してくれたブッシュ大統領を悪くは言えない」なんて話していたのに少しも「親米保守」的に見えない。音楽的にもいかにもアイリッシュ的なたたずまいからアメリカを「再発見」する旅を経てある種の「巨大さ」を獲得したのに全然「丸くなった」という感じはしない。急にエレクトロ方面にシフトしたと思ったらこれまた急に従来の音楽に「帰還」する。「40」歌いながら白旗掲げていたところからどんどん動員も演出も派手に大規模になっていったのにまったく商売くさくない。世界一売れていて世界一注目されているバンドなのに、オバマ大統領の就任コンサートにまで出て「アメリカンドリームは(中略)イスラエルの、パレスチナの夢でもあるんだ」なんてMCをしてしまう。考えつく限りの「矛盾」をはらみながら、でも確固たる存在としてあり続ける。本当に不思議です。普通のバンドならどこかで、なにかで躓くことがあるはずなのに。メンバーチェンジともロックンロールバビロンとも無縁(に見える)のにちっとも退屈な存在じゃない。なぜU2だけそうなのか?なぜU2だけ「許される」のか?
 これは僕が10年以上前から悩んでいる(?)ことなんですが、未だに解けない謎です。僕はあの「Zoo TV」ツアーの東京ドームを観たことがありますが、巨大なセット、ものすごい混沌の中からある種の「純粋さ」「祈り」を紡ぎ出す、というかすべてを飲み込んでそこまで到達する凄みのようなものを強く感じたのを憶えています。総ての活動、曲を好きかと問われたら個々に好き嫌いはあるんですが、そういう問題ではない、有無を言わせない魅力、矛盾がないから偉大なのではなく、矛盾や逡巡も含めて全体の美が際だつ、そんなバンド。こうして書いていて思うのですが、U2って、ロックの理想型なのかも知れないですね。安定しているだけじゃない、一歩間違えばすべてが瓦解するような危ういなかで、高い理想を掲げつつ、最高のエンターテインメントを提供できる、不変の仲間達。すごいものです。
 今日は通勤で久しぶりに「Achtung Baby」を通して聴きました。今の若いファンには実感わかないかも知れないですね。このアルバムが出たとき、ファンもマスコミも戸惑ったものです。ここからしばらく「電子音」時代に入るわけですが、今日聴いてみて、改めて曲の素晴らしさ、演奏の見事さ、そしてエッジのギター、ボノのボーカルが際だっていたことに気づきました。スタイルや衣装は大きく変わっても本質は変わらず真摯なロック。ここからU2は、もともと大きかった存在をさらに大きくして現在に至りますが、上述のように、どんなに大きく派手になっても存在と音楽の質とメッセージの真剣さは変わりません。
 言葉にしてしまうとなんてことはないですが、それをここまでのレベルで実現できたことはやはりすごいことでしょう。そしてそれがある限り、どんなことがあろうともU2はあのU2であり続ける。まさしく「ロックのあるべき姿」として。僕はアルバム1曲目「Zoo Station」の歌詞が大好きです。ボノの、そしてバンドの決意表明として、これ以上のものはないでしょう。このときの彼らがいかに本気だったかがわかります。このときの決意が導く先にあの「すべてを飲み込むロックの理想郷」があったんだと思うと、本当にロックファンでよかったと思います。
 「笑気ガスを吸い込む準備OK/お次の段階に進む準備もOKさ(中略)生きてるって最高だと叫ぶ準備も、最前線に押し出される準備も、全部OKだよ」

Achtung Baby

Achtung Baby