新譜評 東京フィルによる「タルカス」(吉松隆編)

 しばらく前ですが、なんとなく読んでいた雑誌のコンサート告知欄に「タルカス」という文字を見かけてビックリしたことがあります。クラシックのコンサートで、どうもあの曲のオーケストラ編曲版を演奏するようなことが読み取れました。へえ、と思ってそこそこ興味を持ったんですが、日程が予定と合わず行かれないことがわかり、そのまんま記憶の彼方へしまいこんでしまいました(ちなみにコンサートは今年の3月14日。この日僕はさいたまスーパーアリーナで、光る角を頭につけてAC/DCを観ていました)。
 ところがそのときのコンサート、ライヴレコーディングされてCDになってリリースされたのです。これまた偶然アマゾンで発売告知を見かけてビックリ。ロックが絡めば私も絡む(笑)、ということで早速購入してみました。
 ここまで読まれて「何それ?」と思われる方も(ロックファンにも、クラシックファンにも)多いと思いますので少し説明しますと、これは東京フィルハーモニー交響楽団による「新・音楽の未来遺産〜ROCK&BUGAKU」というタイトルのコンサートを収録したもの。会場は東京オペラシティ。収録されたのは「BUGAKU」(黛敏郎ドボルザークアメリカRemix」(ドボルザーク作曲、吉松隆編曲)「アトム・ハーツ・クラブ組曲第1番op.70b」(吉松隆)そして「タルカス オーケストラ版」(オリジナルはご存知エマーソン・レイク・アンド・パーマーによる曲。編曲は吉松氏)。「アメリカRemix」と「タルカス」は世界初演だそうです。東フィルは来年創立100年を迎えるそうで、西洋音楽の歴史も1世紀をこえるわが国で「100年も200年も前に西洋の作曲家が書いた曲を繰り返し演奏しているだけじゃ未来はない」(CDブックレット中の吉松隆インタビューより)として試みられたプログラムだそうです。
 編曲をした吉松氏はプログレのファンだそうで、「タルカス」については「とにかく、この作品をクラシック音楽界に知らしめたいという熱い思い」から取り上げたそうです。以下「BUGAKU」を取り上げたのはこの曲が「ピンク・フロイドに通じるような斬新なサウンドだから」、「アメリカ」については「昔からクラシックらしからぬグルーヴ感と終楽章の疾走感が好き」なので、「アトム・ハーツ」はもともとこの曲を作曲したことがこうしたプロジェクトを始めたきっかけだったと発言されています(もともとこの曲はモルゴーア・カルテットのために書いたもので、カルテットのトップである荒井英治氏が東フィルのコンマスでもあることが繋がりとなってのもののようです)。
 演奏ですが、そこそこよかったです。一番期待した「タルカス」ですが、「ほぼ、そのまんま」といっていい「オーケストラ版」でした。よくぞまあと思うほど律儀にキースのアドリブフレーズまできちんと演奏しているのが微笑ましいですね。数年前に出た黒田亜樹のものよりもずっと原曲に忠実でした。あの独特の和声は、けっこう管弦楽向きなのかも知れません(当然ですがボーカルは入りません)。
 一部リズムに関して単調かなと思う瞬間はありましたが、全体的には違和感のないものでした。逆に違和感がなさすぎて怖いくらい。ジャンル越境ものの通弊として「アウェイジャンルの音楽に対してセンス不足」というものがあるんですが、ギリギリのところで「大丈夫」だと思いました。一時期流行った(?)「シンフォニック○○」ものやら「ベルリンフィルの12人チェリスト」(正確なユニット名忘れちゃいました)のビートルズものなんかよりもずっといいものです。上から目線な書き方ですみません。
 ロック系の曲を管弦楽編曲したもので一番難しいのは、上述した「リズム」に対する感覚です。「リズムが単調」と書きましたが、どうしてもこうした編曲の作品ではロックのもつ「リズム感」は活かしづらいですね。この作品もそこはつらかったです。ロックのリズムは、ちょっと聞くと同じことの繰り返しに感じても、実際にはその瞬間ごとに(強弱やフレーズのちょっとした変化、他の楽器との関係性の変化などにより)驚くほど豊かな表情を見せてくれるものです。そのへんに対して、この作品も「やっぱり」という結果になっています。「グルーヴ感」などという言葉を使う吉松氏をしてもここまでか。逆に8ビート処理をせず、通常の管弦楽曲のようにパーカッションを使って編曲した部分は見事に決まっていましたから、これはもうスタイルからくる「仕様」なのかも知れないですね。
 それから氏は上記のインタビューで「ロックバンドと大音量と迫力で張り合って『オーケストラって凄い!』と言わせようとも思ったし。」と発言されていますが、そうかなあ、そんなこと思わなくてもいいのに。どうせかなわないんだから。真面目に書きますと、ロックは確かに大音量で演奏されますが、決してただ「やかましければいい」というものではありません。上に書いたリズム感同様センスが必要なのです。轟音のような音の中に繊細さも悲しみもメッセージも含まれているのです。それを感じられる音楽を奏でられることが「素晴らしいロック」であり、それをリアルに感じられることが「ロックに対するセンス」なのです。原曲の「タルカス」は重厚濃密長尺の「どプログレ」ですが、ふとした一瞬そうしたものを確かに感じます。それは優れてロック的なセンスであり、そこがわからないとロックには近づけません。
 僕はこの作品ではその「大音量」が気になってしょうがなかったクチです。絶対的音量ではありません。相対的に「メリハリがない」と思う部分が多かったということです。僕はむしろ原曲のイメージを捨てて、ある程度独自の解釈で音量を決めた方がよかったのではないかと思います(黒田亜樹版はそういう部分については今回の吉松版を凌いでいると思います)。「BUGAKU」などにはそうした印象はなかったので、やっぱり他のジャンルのセンスというのは再現しにくいのかなあ?まあそのへんについては、ロックから他ジャンルへのアプローチの方が失礼が多かったような気がしますのでこれ以上は踏み込まないで、ひとこと「惜しい」とだけ申しておきます。
 「BUGAKU」は実は初めて聴いたので、とても興味深く鑑賞しました。なかなかいい演奏。個人的に一番感心したのは「アメリカRemix」でした。これはいい。これは素直に「凄い」と思いました。編曲もいいし、中野翔太氏のピアノもよかったです。この曲は過度の「ロック寄り」編曲をしていないのがよかったのかも。「アトム」はオリジナル(弦楽四重奏)よりも重厚になったところが好みの分かれるところかな?僕はどちらも「アリ」でした。
 さて、上記のインタビューで吉松氏は今回のプロジェクトのコンセプトについて「作曲家が監修するからには作曲家にしかできない監修の仕方があるんじゃないかと。そこで考えたのが『アレンジ(編曲)』という次元を逸脱した『リミックス(再構成)』という視点で新しいレパートリーを作ること」と説明されています。で「タルカス」はどうだったか、正直に書いてしまうと「編曲者の意気込みは買う」というレベルだったと思います。非常に原曲に近いので、吉松氏がわざわざ「リミックス」とおっしゃる意味がもうひとつ明確にわかりませんでした。そこまで志を高く持っているのなら、もっと原曲を崩してしまってもよかったのでは、ということです。そのあたりに「他ジャンルの曲をオーケストラで演奏する」こと、ひいては新しい試みを行うことに対しての難しさを感じます。
 僕自身はこのアルバム、聴いていて楽しめました。でもそれは僕がELPの原曲を大好きでよく聴いていたからだったのかも知れません。実際、冷静に聴くと演奏はところどころ綻んでいて、いかにも初演版という感じです。僕としてはこうした試みは「1回だけのイベント」にせず、ぜひとも再演してほしいと思っています。いや、いっそ東フィルの新しいレパートリーとして「またやるのか」と言われるほど何回も演奏するべきだと。これは冗談ではありません。マーラーにせよブルックナーにせよ、最初は受け入れられなかった作品が繰り返し演奏されることで聴衆の耳に馴染み、受け入れられていった例はいくつもあります。吉松版「タルカス」もそうやって演奏し続けることで演奏のレベルも上がり、聴き手に愛されるようになるのではないかと、そういう努力も必要なのではないかと思うのです。「タルカス」は正真正銘ロックの名曲です。それに手をつけたのならそこまで責任とってほしい。そうであればこそ「音楽の未来遺産」として、オーケストラが演奏する意味がでてくるのだと思います。
 追記:で、中身はそういう感想ですが、なにしろ最高だったのがジャケット。ELPのセカンドアルバムそのまんまなんですが、なんとこれ、実際にタルカスフィギュアを作って撮影しているようです。これは凄い!これは脱帽だ!このフィギュア量産してコンサート会場で売ったら受けるんじゃないかなあ?マンティコアも作ってセットで。僕は買いますよ(笑)。どうですか東フィル関係者のみなさん、これでもうひと商売(笑)?

タルカス~クラシック meets ロック

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タルカス(K2HD/紙ジャケット仕様)

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タルカス&展覧会の絵

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