追悼 野沢那智さん、西崎義展さん

 つい先日、野沢那智さんの訃報がありました。アラン・どろん、アル・パチーノなどからアニメの声優まで、あらゆるタイプの「声の演技」でたくさんの人たちを楽しませてくださったまさしく「名優」。僕にとって一番思い入れあるのは、C-3POの、あのちょっとオカマっぽいマシンガントーク。お調子者でおしゃべりだけれど、相棒のR2-D2を心から信頼している、そんなところまで完璧に表現されていました。
 「スターウォーズ」の日本でのテレビ初放送は、今も(違う意味で)語り継がれる「吹替え」でしたが、C-3POのセリフだけは、まったく何の心配もいらないものでした。もう声が聴こえた瞬間から「3POの声はこれで正解だ」という感じ。確か番組最後のセリフも野沢3POだったはず。ディズニーランドのアトラクション「スターツアーズ」でもそのお声が聴けて、いつも楽しませてもらったものです。少し遅れてではありますが、謹んでご冥福をお祈りいたします。
 そして今日、突然もうひとつ、僕の子ども時代を楽しませてくれた方の訃報がありました。西崎義展氏。
 決して知名度の低い人ではないですが、お名前よりもむしろ「『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー」のほうが通りがいいかも知れません。もちろん西崎氏の功績業績は「ヤマト」だけではないですが、個人的に最も思い入れのあるのはこの作品になります。
 僕は以前から「西崎氏は真のプロデューサーだ」という内容の文章を書こうと思っていました。文章の題材にしようと考えていたのはあの「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」です。あのアルバムのライナーは西崎氏と(作品の作曲者である)宮川泰氏の対談で構成されていたんですが、そこにいる西崎氏は音楽、作品のすみずみにまで自分の思いを浸透させようと奮闘しているようでした。録音現場で作曲家、演奏家と演奏内容を巡って論争になったときに「ぜったい自分の意見をゆずらなかったのが西崎さん」(宮川氏の発言から)で、結果的に西崎氏の意向どおりに演奏されたものが採用テイクになったという逸話が紹介されていました。
 宮川氏は続けて「西崎さんをもちあげるわけじゃないけど、プロデューサーというのは、音楽家とは違った広い視野でものを見てるということが、はっきりこの演奏に出ていますよ」と語っています(上記2つの引用はともに「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」収録の「回想」についての発言です)。僕がこの部分を初めて読んだのは中学生のころでしたが、西崎氏の作品に対する思い入れや熱意、集中力、そして常人では比較にならないような押しの強さと感じたものです。「回想」は冒頭に木村好夫のギター、続いて外山滋(!)のヴァイオリンソロが入るのですが、2人の演奏に延々とダメ出しをして、自身の信じる「完成型」を求めたというその姿こそ、「プロデュース」という仕事のある種の典型ではないかと、今もずっと思っています。
 西崎氏のその他の仕事については「ヤマト」の何回もの続編なども含めて強い思い入れはありませんし、薬物関係の犯罪歴など、手放しに評価できない部分もありますが、それはそれとして、僕にとっては少年時代に心から感動した作品を世に送り(そしてそれは、我が国におけるアニメ史でも特筆すべき事件でもありました)、「作品をプロデュースする」ということを最初に学ぶ機会となったことについては、深い恩義を感じます。今部屋には、今日話題にした「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」を流しています。「回想」の冒頭の、非常にウェットな感触の器楽独奏を聴きながら、「あのころの少年」の一人として、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。