批評「題名のない音楽会」

 日曜日はシフトで仕事。後ろ髪を引かれる思いで出勤し、帰宅してから録画しておいた「題名のない音楽会」を観ました。先日のエントリにも書いたとおり、あの「吉松隆版タルカス」がオンエアされるということで期待していたものです。番組には吉松氏ご本人、山田五郎氏なども出演されていてなかなか華やか、初演に行かれなかったのでぜひ再演してほしいと待望していた「タルカス」も(番組では抜粋でしたが)演奏されました。再演されたことについては個人的には楽しかったし嬉しかったです。まあなんだかんだいっても原曲ファンですからね。
 ただ!今回はちょっと、違和感というか腑に落ちないというか、もっと有り体にいうと怒りのようなものを感じています。それは番組全体についてです。
 まず、ロックについての認識が非常に雑だったこと。この番組では以前黛敏郎氏が司会だったころにビートルズを取りあげたことがあり、それも相当なものでしたが、今回もかなりのものでした。冒頭で司会の佐渡裕氏が「中学生くらいのころハマった」といいながら口ずさむのがディープ・パープルの「湖上の煙」。これを枕に山田五郎氏が登場するのですが、ここで語られるプログレ観がお粗末そのもの。「長い」「テクニック重視」「ファンに特権意識がある」など、全体的には「笑いものにしている」としか思えないような発言でした(余談ながら、「Tarkus」について「火山から生まれた怪物が云々」という説明はいらないでしょ?あれは完全に不要な説明です。まるで原曲が表題音楽みたいに誤解されちゃう)。続いて吉松氏が発言しますが「ロックの持つ破壊力、エネルギー感、スピード感などをオーケストラで再現できないかと(いうことを念頭に編曲した)」と発言されていますが、どうも言葉の端々にロックという音楽をなにか「プリミティヴなもの」と認識しておられるような印象でした。
 今更言うまでもないですが、ロックは別に正当な音楽ができない人間や文化レベルの低い人間向けの音楽ではありません。鑑賞するに足り語るに足る芸術です(芸術という言葉に違和感を持つ方もいらっしゃると思いますが)。プログレッシヴ・ロックについての説明も本当にお粗末。番組のマジョリティ視聴者もそうですが、当日会場にいらっしゃったお客さんのほとんどはロックには馴染みがなかったでしょう。そういう場でロックなどの説明をする際には使う言葉も含めて細心の注意が必要なはずです。そのへんがまったく感じられなかったです。例えば僕がクラシックに関心のないロックファンの前で「クラシックっていうのは昔のヨーロッパで変なカツラをつけて気取って演奏してた音楽で、ポール・モーリアやリチャード・クレーダーマンの原曲にもなったんですよ」と説明したら、クラシックファンの方、怒りますよね?それに近いことが起こったような気分でした。
 僕は個人的にですが、ロックファンにさえ蔓延している「プログレ忌避」の風潮を非常に不愉快に思っているひとりです。プログレは間違いなく当時大爆発のように浸透していったロックという音楽ジャンルにおいて、様々な試みを成果として定着させ、楽器演奏という意味でも歌詞のレベルという意味でも重要な役割を果たしたと思っています。ロックがその表現領域を広げるにあたり、最適な時期に最適な結果を出し、しかもそのいくつかは商業的にも大成功を収めたと思っています。今更ロックを、そしてプログレを取り上げるのならば、従来のロック史観ともクラシックからの(単純な)視点ではなく、今だからこそ語れることを聞きたかった。もちろんこれはロックファンの間でも異論があるでしょうから僕が気に入らなかっただけではありますが、あまりに「ありきたり」な語り口だったので気になってしまいました。少なくとも音楽がテーマの番組なのでこちらの期待も高かったので残念です。佐渡氏は「ロックのもつ、古代から人の中にある本能のような(ビート)」と発言されていましたが、ちょっと勘弁してほしいよ。そんな認識ですか?いやマジで。
 番組でオンエアされた「吉松版タルカス」に言及しますと、基本的には初演版(CDで聴けるもの)と同内容だったと思います(聴き比べていないので詳細は不明)。ただ、演奏がちょっと雑だったような気が。再演なのにこんななのかしら?もしかしてこの曲、オケからは嫌われているのかな?ものすごく苦労して演奏しているのはわかるんですが(演奏者のアップなど観ると特に)、けっこう破綻していました。純粋なクラシックファンの方が聴いたらもっと厳しいご意見かも。編曲したこと自体、そしてその内容についてはまあまあ受け入れる僕ですが、この演奏はちょっとガッカリしてしまいました。指揮の佐渡氏がものすごいオーバーアクションで指揮していたのもなんだか違和感ありました。せっかくの地上波オンエアなのに。あと、マーティ・フリードマン氏によるラフマニノフはまったく余計だと感じてしまいました。マーティ氏に反感などはありませんが、なぜ今回ここにいて演奏するのかわからなかったです。もし番組スタッフが「ロック側から誰か呼べば」とだけ考えての出演だったとしたら、かえって番組製作陣のロックに対する認識の浅さを感じてしまいます。
 先日「吉松版タルカス」を取り上げたエントリには、いくつか批判的なコメントをいただきました。それぞれ考えさせられるものです。僕の立場というか受け入れ方はすでに書いたとおりですので、演奏されたこと自体に大きな反感はありませんし、専門的な知識がないためそっち方面の批判なども(いくつかは以前書きましたが)強くは感じませんでした。ただ、こういう取り上げ方ではロックにもプログレにもなんのメリットもないどころか、またもや以前からあるある種の「偏見」が増長されたような気がします。とても残念です。
 追記:でもね、こうなると逆に「生で聴いてみたい」という気持ちも大きくなってくるんですよね(笑)。やっぱりコンサートで実際に聴いてこその部分があるのかも知れません。さんざん批判のようなことを書いていてナニですが、そのへんもよろしくお願いします(笑)。