清志郎さんの三回忌に思う

 大震災以来、RCサクセションの「カバーズ」をよく聴きます。理由の説明は不要ですね。実際素晴らしいアルバムですが、今やこのアルバムの偉大さは歴史が証明し(てしまっ)たといえるでしょう。
 もちろん、RCの、清志郎さんの才能、業績の大きさ、表現のスケールはこのアルバムだけ聴いていてもわかりません。このアルバムだって単なる「反核原発アルバム」ではありません。このアルバムの発売にまつわるゴタゴタは有名な話しですし、僕は発売直後に購入しましたが、「サマータイム・ブルース」や「ラヴ・ミー・テンダー」以上に「明日なき世界」「シークレットエージェントマン」「バラバラ」そして「悪い星の下に」「黒くぬれ!」(この2曲の翻案センスは驚異的だ)などが好きでした。日本語のロックにおける、最良の成果がここに詰まっています。反核ソングだから、反原発ソングを収録しているから名作だ、語るに値するなんてチンケなものではありません。
 でも、それでも今このアルバムを聴くと、そしてあの2曲を聴くと戦慄します。言葉にもそうですが、清志郎さんの、自分が心から感じたことを胸を張って言葉にする、そしてそれを、圧倒的な表現力で芸術作品にしてみせるその姿勢にです。
 このアルバムが発表された当時、僕はこのアルバムは大好きながら、反核云々の部分についてはいくぶん冷笑的でした。「反核の部分ばかり話題になるのはおかしい。肝心なのはそこじゃない」という感じ。
 でも結局、そうした態度は清志郎さんが詩に、音楽にこめた思いをまったく理解していない態度でした。別にこの歌を聴いて反核運動をしたらよかったという意味ではありません。自分が無意識のうちにきちんと考えることを回避していたということです。なぜか?面倒くさかったから。特に自分の生活に関係なかったから。もっと言えば、主義主張や市民運動なんてやる気なかったから。「音楽と考え方は別物だよ」ってふんぞり返っていたわけです。「キヨシローのいうこともわかるけどねえ」という感じ。
 今は身にしみてわかっています(いや、今だって正直ちゃんとわかっているか不明だ)。僕たちはちゃんと考えなければいけないこと(それは単純にある一方の立場をとる、という意味ではありません念のため)考えなければいけないときにそれをしなかった。そしてその大きなツケを今福島の人達に、原発事故の現場で懸命に働く人達、そして次の世代に払わせているわけです。今回の事故は誰の責任かと問われれば、それは最後には「何も考えず、人まかせにしていた自分」としか言えません。あのとき「カバーズ」はそれをちゃんと考えるきっかけになったかも知れなかったのに。
 「カバーズ」に限らず、清志郎さんはいつも、自分の発する言葉に、自分の作り出す芸術に対して、すべての責任を負っていました。作品を出すことでどのような批評を受けようと、正面から当たっていった。単に結果的にそうだったというだけではなく、使われる言葉や音、歌い方まで含めてちゃんと吟味し、どんな目に遭おうと堂々と掲げられるべく、自分の作品を鍛え上げていった。これこそが真の大人であり、真の芸術家であると、心から思います。
 最初に書いたように「カバーズ」は反核ソング集ではありません。そこだけが評価のポイントではありません。でもその部分さえ大きすぎて僕たちには太刀打ちできないようです。真っすぐにものを見る鋭さ、思い信じたことを優れた言葉で表すセンス、そしてそれを誰にでも楽しめる形にできる才能の巨大さ、そんな清志郎さんに、改めて思いを馳せます。

カバーズ

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