私、ケブ・モの味方です(特に新作では)

 ブルースというと、演奏する方も聴く方もすごく真面目で求道的でさえあると感じられます。少なくとも僕が知っている範囲では。ブルースファンの方ってみなさんすごく造詣が深く一家言ある、そして「本物か否か」に厳しい、そんな感じです。で、今日の本題であるケブ・モ、この人はどうなんでしょうね?
 僕は大好きでアルバムも複数持っているケブ・モなんですが、アマゾンのレビューなどを読んでいるとときどきすごく低い評価のものがあります。で、そういうレビューのほとんどが「ブルースの本質に迫っていない」という感じのもの。数年前に出た「ブルースの世界」(ブルース・インターアクションズ刊)のアーチスト紹介欄でも「ブルースマンではなく、ブルースもできる才人。本人もブルースの救世主になりたいとも思っていないだろう」というようなことが書かれていました(例によってその本が見つからなくて記憶で書いています。紹介欄の文章自体は「(上記のような部分を)理解しないで彼を語ることはナンセンス」だと、いくぶん彼の肩を持った内容でした)。そういう受け取り方がブルースファンの総意なのかな?
 僕はそういう受け取り方にちょっと違和感があります。反論したいというほどではないんですが、彼にだって広い意味ではちゃんとブルースの息吹を感じられます。ただ、彼の才能は「どブルース」とは違う方向を向いているだけだと。誰もがみんなロバート・ジョンソンサンハウスみたいな音楽を演ればいいってもんじゃないし、現代的な解釈、あるいは「ブルースから出発した自分なりの表現」であって、それが聴くに値するものであれば、それはそれですばらしいものではないかと、そう思うのです。大体ケブ・モの音楽がダメだったら、ここ25年ばかりのクラプトンも(以下略)。
 僕はホワイト・ストライプス(ジャック・ホワイト)は21世紀におけるブルース演奏の、ひとつの正解だと思っていますが、それとは違う意味ですが、ケブ・モの音楽もまた、ブルースという音楽の持つ懐の広さを感じさせる、一流の音楽だと信じています。
 今聴いているのは、その彼の新作「The Reflection」。この夏、我が家のリビングで、そして通勤のiPodでこのアルバムはヘビロテでした。とてもオシャレで聴きやすい、そして非常に質が高いアルバムです。豪華なゲストも品のいい使い方。イーグルスの「One Of These Night」のカヴァーがありますが、本家のものよりも洗練されていて、ケブ・モの音楽的立ち位置をよく現しているようです。歌もギターも聴きやすいですが、やはりそこに「ブルースの苦さ」とでもいうべきものを感じます。いや、そんなこと言わずもがなかな?ブルースは広く深く、こういう形をとることもある。そしてこれだって、間違いなく「答えの一つ」なんだと実感します。誰がなんと言おうと、大好きですよ、ケブ・モ。

Reflection

Reflection