レッド・ツェッペリン「Cerebration Day」の奇跡

 なにがこれを可能にしたんだろう?レッド・ツェッペリンの「祭典の日」の音を聴き、BDで映像を観ながら、ここ数日冗談ではなく僕は深く考えこんでいます。世間的にも大評判になっている本作ですので、僕がわざわざここで内容をトレースする必要もないでしょう。とにかくすごい。大物の再結成音源や映像など珍しくもない昨今ですし、実際にそうしたバンドの公演を目にしたものもある僕ですが、このゼップのコンサートは特別なものです。実際に聴いた方観た方は同意していただけると思いますが、とにかく演奏がすごい。それしか言いようがないんですよ。
 こうした再結成コンサートの場合、そこにいたる経緯や演奏の内容などに「文脈」があり、それを読むことである程度は受け手としての姿勢や感想に方向を持たせることができます。今回のゼップの場合、僕はバンドのことをもちろんよく知っていますし大好きでもある、再結成に至る文脈も知っています(アーメット・アーディガン追悼ライヴであることや事前リハーサルのことも含めて)。ところが実際に観る・聴くことのできる当日の音楽は、そういう「文脈」からは読み切れない、というか、そういうものとはまったく無関係に成立している。あらゆるものから独立し、純粋に音楽が存在しているという感じがします。
 大げさな書き方ですが、限界のある存在である人間が奏でているとは信じられないような響きをしています。それは「昔活動していたバンドのメンバーが集って昔の曲を演奏したから、昔どおりにできました」ということとも全く違う、なにか時間の経過とかメンバーの加齢とかとも関係なく「音楽という存在」があり、今回ステージ上の4人のところに「降りてきた」とでもいうような存在感で鳴っているのです。このコンサートを実際に観た渋谷陽一氏が、いつものいくぶんドライな物言いと違って「すごかった!」みたいなことばかり発言されていたので「?」と思っていた僕ですが、僕も同じような言葉しか出てきません。
 細かく見れば時々ミスもあるし、キーを下げている曲もあります。そういう内容を書こうかなと思ったんですが、それでは一番大事なことが書けないと思ってやめにしました。とにかく音楽がそこにあるということの確かさと価値を感じてほしいし、感じられるはずです。それがすべて、「Presence」とはよく言った、まさに音楽が「存在」しているとでもいうべきものでした。それは今回のパッケージが、いくつかバージョン違いこそあるものの基本的には当日の模様のみで構成されていて、インタビューやバックステージ映像などの「余録」的なものを排除していることによっても強調されています。書き忘れましたが映像の内容も余計な演出なしで当日のステージだけを記録した、非常にストイックなものでした。それだけで十分だということを当事者たちも知っているんでしょう。全盛期のライヴ音源・映像もある彼らですが、間違いなく今回のものの方が上です。そしてこれは、20世紀に電気楽器とアンプリファイアが誕生して以来、それによって創造されてきた最も美しい芸術のサンプルかも知れません。

 追記1:ちょっとだけ余談。映像のほうで確認できますが、観客席にいる人達がみんなステージの模様を携帯電話で録画しているのが面白かったです(観客席目線のショットになると、高く掲げられたたくさんの液晶画面が見られます)。そういえばコンサート当日、続々とYouTubeにアップされる動画を追っかけましたっけ(笑)。
 追記2: MCがほとんどないコンサートですが、少ないながら印象的な言葉がありました。「Trampled Under Foot」をはじめる前の「ロバート・ジョンソンの「Terraplane Blues」は多くの模倣者を生んだけれど、この曲は僕達流のそれです」、「ジェイソンの両親は 2人ともジミ・ヘンドリクスのモノマネが上手だったよ」など。「天国への階段」を終えたときの「Ahmet!We did it!」という言葉もよかったです(発言はすべてロバート・プラント)。
 追記3:僕が購入したのは4枚組の「デラックス・エディション」。ボーナスDVDはコンサート4日前にシェパートンでのリハーサルを収録しています。アマゾンのレビューなどでは低評価のDVDですが、僕には興味深いものでした。たぶんメンバーやスタッフの確認用に撮影されたと思しき、ステージ正面を固定カメラ1台で撮影したもので、画質もそれなりだし、画面の前をスタッフが通り過ぎたりしますが、それだけに臨場感があって面白いです。本番のステージ映像は当然複数のカメラで撮影して、ショットの切り替えがあるために把握しにくい「ステージ後方のスクリーン演出」がノーカットで観られます。本番では間違えた部分をしっかり演奏していたりして、マニアのみなさんには面白いと思いますよ。