アルバム評「イーハトーヴ交響曲」

 昨年11月に行われた冨田勲コンサートの実況録音盤がリリースされました。アルバムタイトルはそのとき演奏された世界初演の曲をそのままつけた「イーハトーヴ交響曲」。以前の日記に書いたとおり(こちらです)、僕は観客としてこの初演の場におりましたので、個人的な思い入れも強いものです。
 改めて自分の家で聴いていて、当日の感動がよみがえるという個人の気持ちは当然として、曲や演奏の詳細がわかってきます。当日はなにしろ初めて聴く曲を追いかけるだけでしたが、こうして何回も聴いていると、作品の構成が非常にわかりやすく、主たるテーマである宮沢賢治に対する愛情に満ちているに気づきます。この作品は賢治の作詞作曲した曲を多く引用していますが、その配置の妙、豊かな表情の編曲が、とても爽やかで奥深い印象を残してくれます。
 全体のハイライトであろう「銀河鉄道の夜」は妹のトシさんとの永訣、そしてその魂を追うかのように行った樺太行の場面ですが、そこに響く初音ミクの歌声と切ない旋律、そして引用されるラフマニノフ交響曲第2番第3楽章の主題が一体となって、初演の場ではなく、こうして音だけ聴いていても感動的、いや、落ち着いて聴ける今のほうがより深く感動できます。この楽章の後半、子供たちの声で響く「カンパネルラー!」「ジョバンニー!」の呼び合う声は、何回聴いても心を打ちます(記憶が確かなら、この楽章ではホールの中には照明の演出で星空がいっぱいに広がったはず。それも思い出されます)。初登場「注文の多い料理店」ではちょっと調子に乗り切れていないミクも、この楽章での「ケンタウルス露降らせ シャラシャラシャラキンコンカン コロンカランコロン♪」の歌唱は可愛らしくかつ心を揺さぶるものでした。
 オーケストラも合唱も、そしてもちろん初音ミクも、世界初演というプレッシャーに負けず本当に素晴らしい演奏だったといえます(特にミクちゃん、作品としても場所としても完全にアウェイだったでしょうに、本当にがんばってくれていました)。男声コーラス(慶應義塾ワグネルソサエティ男声合唱団)は特筆すべき出来です。
 「CDジャーナル」2013年1月号の片山杜秀氏連載コラム「日々悶絶」ではこの日のことが話題になっていますが、氏はこの曲における「引用」(ダンディやラフマニノフ、賢治作品の多数の引用)とバーチャルシンガーである初音ミクの採用について、次のように述べておられます。ストラヴィンスキーなどの引用は「他人の素材で戯れるゲーム感覚」で「ドライ」あるが、冨田の引用は「自然」で「ウェット」、そしてミクについては、この作品における彼女の役割が亡くなったトシさんであることに拠り「生声を凌ぐリアリティを持てる」と。そして「引用は音楽をシニカルにし客観化し、人口音声は非リアルな世界を表現する。そういう常識を冨田は覆した。引用に初音ミクだからこそ、どんどん生々しくなる。」と書かれています。
 僕はこの文章に強く感じるものがありました。当日僕達が客席で得た感情もまた、自然でリアルな感動だったからです。作曲家・思索家冨田勲の、恐るべき奥深さといえるかも知れません。
 僕は最初このアルバム発売を知った時、「なんで音だけなんだろう?ミクもいたんだから映像作品にしないと当日の感動には遠く及ばないのではないかなあ」と思ったんですが、実際にこうして音だけ聴いていても、少しも飽きないし、足りないとも思いません。この作品はそんなチンケなものではありませんでした。音楽作品としては当然の当然ですが、耳で聴くことだけで作品の真価がわかります。これは素晴らしい、一流の音楽作品です。僕は何回聴いても感動します。曲が冒頭と同じく「岩手県の大鷲」で結ばれていく瞬間は心で拍手します。それほどの作品でした。
 初演を観た日記で書いたとおり、当日僕はアンコールの「リボンの騎士」で一番感動したんですが(それはこのCDにも収録されています)、このアルバムでは文句なしに、本編である「イーハトーヴ交響曲」に軍配を上げます。降参といってもいいくらい、諸手を上げて称賛したい。そんな気持ちです。まだお聴きでない方、「映像なしだからなあ」と思ってらっしゃる方、ぜひ聴いてみてください。これは本当に豊かな「一番新しい名曲」です。

イーハトーヴ交響曲

イーハトーヴ交響曲