3月11日に畠山美由紀を聴く

 毎週土曜日は娘のドレミがお稽古事をしているので、その送り迎えに短い時間ながらクルマを出します。本当に短時間なので自分の聴きたい音楽をかけたりせずにFMを聴いています。南関東在住なので選局はいつもFM横浜。注意して聴くのではなくあくまで流している程度なんですが、そのFMの影響で、最近畠山美由紀のファンになりました。名前は知っていた彼女ですが、ちょうど僕がクルマを出す時間帯、彼女がパーソナリティを務める「Travelin’ Light」をオンエアしていて、その選曲センスのよさと、彼女のトークそして歌声に惹かれたのです。少し前に「月見ル君想フ」で彼女のライヴを観たという日記を書きましたが、そのライヴ情報もその番組での告知でした。彼女の音楽について僕はほとんど未知だったんですが、番組で流れた曲を頼りに数枚購入したCDはどれも素敵な内容で、実際にライヴはその数倍素晴らしく、すっかりハマって教会コンサートのDVDやらiTSでの配信やらまで揃えてしまいました。
 僕にとってですが、彼女の歌声や音楽には不思議な「相反性」が感じられます。歌声は非常に技巧的で技術も高いんですが、聴き手として僕の中に残るのは自然な印象です。歌い方もちょっと鼻にかかった、聴きようによってはちょっと気取ったふうなんですが、変に「お高い」感じには聴こえません。ダブル・フェイマスでの曲など、アレンジが非常に凝っていて普通だとボーカルも技巧倒れになりやすいものなのですが、根本の部分ではとてもナチュラルです。彼女はオリジナルの他に多くのカヴァーを歌いますが、オリジナル以上に彼女の「音楽家としてのパーソナリティ」を感じられるものになっています。で、オリジナルはというとこれも美しくて質が高い。キャロル・キングスザンヌ・ヴェガのカヴァーとオリジナルを並べてギャップがない日本の歌手なんてそうそういません。そうした「相反性」というか「奥深さ」が、彼女をただの「歌のうまい歌手」以上のものにしているんでしょうね(余談ながら上記のラジオでのトークやライヴDVDなどでのMCなど、それまでの歌とがらりとムードが変わってカジュアルになるのも印象的です。実際に観たライヴでもそうでした。そこも僕には大きな魅力です)。
 ところで先週(3月9日)の「Travelin’ Light」で畠山さんは「この放送が終わったら気仙沼に向かいます」と話していました。宮城県気仙沼は彼女の故郷だそうです。
 今日は3月11日。今日僕は時間を作り、東京にある東北3県のアンテナショップを巡ってきました。八重洲の「福島県八重洲観光交流館」東銀座の「いわて銀河プラザ」池袋の「宮城ふるさとプラザ」です。ラーメンとかお菓子とかお酒とかたくさん買い込んでしまって帰りはけっこうヘトヘトでしたが(笑)、今日という日に僕ができるせめてものこととして、買い物と(ささやかながら)義捐金に協力させていただきました。外出中ずっとiPodで聴いていたのは畠山美由紀の「わが美しき故郷よ」。
 このアルバムの収録曲はオリジナルもカヴァーもどれも、震災後の僕達には切なすぎるほど響いてきますが、僕が感動するのは朗読によるタイトルナンバー。故郷についての思い出、失われた故郷の記憶、そして被災した人たちへの思い…。朗読の内容はアルバムのなかに印刷されていますが、これはもう、語られる声にこそ真の価値があります。活字では伝わらない、彼女の言葉にわずかに混じる「お国訛り」が、「故郷」というもののなにものにも代えがたい価値と美しさを伝えてくれます(実際に活字になった文章には方言は一切ありません)。
 震災から2年、復興の道はまだ途上で、問題は山積しています。僕たちはこれを克服しなければならないし、特効薬もありません。で、僕には何ができるだろう?
 僕の住んでいるところは直接の被害こそありませんでしたが、あの日鉄道もバスも止まった町を数時間かけて徒歩で帰宅する有様でした。妻は職場から戻れず、翌朝僕は仕事だったので早朝(娘を両親に託し)出勤したのを、昨日のことのように憶えています。そうしたことを忘れずにいることもなにかの足しになるのかも知れないと思いつつ、今日は買い物させてもらって、14時46分には黙祷させていただきました。
 今日訪れた「宮城ふるさとプラザ」には気仙沼の観光パンフレットも置いてありました。多くの観光地が震災後新しい印刷物を作れないでいるなか、気仙沼市のものは最新のものでした。来週の「Travelin’ Light」ではどんな話しが聴けるでしょう?少しでも明るい話題でありますように。

わが美しき故郷よ

わが美しき故郷よ