レコードの日に相応しい名著

 ポールのデラックス・エディションを書かなきゃ書かなきゃって思っている間に早や三週間。ここまで遅くなってしまったら、もうすぐ出るビートルズのアレと同時にやろう、ということで今日は雑文を。
 今日11月3日は「レコードの日」だそうです。
 制定の趣旨からすると、音楽の再生媒体は全部含まれそうですので、デジタルも配信も記念することになりそうなんですけれど、音楽ファンが「レコード」といえばやっぱりアナログディスクですね。現役アーチストがニュー・アルバムをアナログでもリリースすることも日常的になってきてずいぶん経ちます。いつもいつも書いているとおり、僕はアナログについて必ずしも「最高音質」とは思わないんですが、年齢的にもアナログは身近なものでしたし、現在もちょこちょこ買っています。真面目な話、気になる新譜があると「アナログないかしら」って探してしまいます。そしてけっこうな確率で、あるんですよ。今年もそろそろ「個人的年間ベスト」を選ぼうかという時期ですが、候補作のほとんどをアナログでも入手しています。趣味の品ってそういうものですよね。科学的な態度ではないのかも知れませんが、楽しいです。
 写真のブツ、書籍のほうは「12インチのギャラリー LP時代を装ったレコード・ジャケットたち」というムック。美術出版社発行のものです。タイトルどおり、アナログ盤のジャケットを採り上げたものです。類書はたくさんあるジャンルですが、この本はかなり趣が違います。一言でいうなら「知性のレベルが違う」ということ。著者は美術評論家沼辺信一氏。ポピュラー音楽ライターのような畑ではないので、よくある「見栄えのいいジャケットを並べてウンチクを述べる」というようなものではありません。
 LPの草創期から始まり、カッサンドル、コクトー、リチャード・アヴェドン等の写真家、様々な意匠とその変遷…。アナログジャケットを芸術として捉える視座は一般的なものですが、本書の採り上げ方はとても綿密かつ体系的なものです。前述したとおり非常に知的な切り口でジャケットを見つめていますので、並べ方は独特。ドビュッシーを題材にした章ではジャポニズムへの言及で(誰でも思いつく北斎の浮世絵は別項にまとめて)矢野顕子の「長月 神無月」や渡辺香津美の「Mermaid Boulverd」などが掲載されています。ロック系の類書では採り上げられることは少ないだろうシカゴの数枚のアルバムは「タイポグラフィ」というカテゴリーで、米コロンビアの「ヒンデミット作品集」プレスティッジのセロニアス・モンクなどと並んで紹介されています。
 また本書143ページには3枚のポピュラーLPが並んでいますが、それはローリング・ストーンズ「Sticky Fingers」、モンティ・パイソン「Another Monty Python Record」、XTCの「Go 2」です。なにによってこの3枚がまとまられているのか、おわかりになりますか。デザイナー?発売時期?音楽の内容?これは「脱構築」という視座によってです。ファスナーをつけただけで「異様なまでの存在感が具わってしま」ったもの、「いかにも月並みなクラシックのジャケット(中略)を『贋作』してから、そこに乱暴な☓印をつけて抹消したうえでアルバムタイトルを手書きで書き込んでいる」もの、「ジャケット・デザインという『ビジネス』における『本音』(つまり、売るためにデザインしているのだということ)を延々と文章に綴っている」もの(カギカッコ内は本書の引用です)。オールカラーでおびただしい数のアナログジャケットを紹介した本書は、全編このように、知的でありセンスにあふれながら、とても楽しく読み、観ることができるものになっています。著者の沼辺氏について、僕は不勉強でほとんどなにも知らなかったんですが、相当な人なんでしょうね。
 本書の刊行は1992年。もう世の中はすっかりCD時代に入ってからの発表で、あとがきにも「このCD全盛の現代にLPレコードを話題にするのは、ちょっと気がひけないでもない。それはどこか後ろめたい、時代錯誤的な振舞だろう。」と書かれています。本書がユニークであるのは、実は著者である沼辺氏のこの明晰な意識ゆえだと考えます。長々引用は避けますが、著者は上の引用のあと、LP時代は事実上終焉したのだと明言され、「デザイン媒体としてのLPとCDの優劣を問うことには、何の意味もない」と書かれています。その一方で、「LPジャケットは、もはや過去の世界に属する『文化遺産』である。しかしながら、この『12インチのギャラリー』は紛れもなく90年代に位置し、そこからCDとその未来に向けて開かれている」とも書かれています。
 そのクールな視点、そして音楽とそれを運ぶ媒体に対する分け隔てない愛情と愛着が、たくさんある「アナログジャケット最高!」という凡庸な類書と一線を画する名著にしているのだと思います。この本には対立構図も嘆き節もありません。アナログが特集されたものではありますが、音楽を愛する人なら誰に向かっても開かれている本でしょう。今は古書でしか入手できないのが幾重にも残念、アナログが市場で見直されている今、こういう本こそいろいろな人に、手にとってもらいたい、本当の名著だと思います。

 追記:一緒に写っているアナログはケンドリック・ラマーの「To Pimp A Butterfly」。CD入手以来ずっとアナログを探していたんですが、実は最近やっと出たようです。ご覧のとおり印象深いジャケット。今年の「ジャケット・インパクト大賞」最有力候補ですね。ちなみに音楽も素晴らしい。ジャケットから想像するよりもずっと耳に心地よい、ポップな音楽です(歌詞はウルトラシリアスですが)。