今でも「Hallelujah」聴くと辛いよ

shiropp2006-01-30

 もう11年も経っていたか!?
 ちょうど今と同時期の1月の終わり、ジェフ・バックリィは初来日公演を行いました。僕は勝手に10年前だと思いこんでいて、それで今日これを書き出したんですけど、調べてみたら1995年でした(情けないなあ)。
 ジェフのファースト「Grace」は、あの時期の、あの年齢の新人とは思えない落ち着いたもので、アルバム単体としても上出来、これからのキャリアも期待大という、洋楽マニアにはうれしいものでした。巷ではお父さんのことも話題になっていましたが、幸か不幸か僕はそのころティム・バックリィのことは知らなかったので、そういう聴き方はせずに、1人の新しい才能として接することができました。そうした中、来日公演が実現したのです。
 ジェフの音楽性は、当時からマニアックな洋楽ファンの間では有名であり高く評価もされていました。が、なにしろアルバム1枚のキャリアしかない新人です。僕も期待と不安の半々という気持ちで会場に向かいました。
 会場はほぼ満員、なぜか僕の席はえらくステージから近く、ジェフがほぼ正面に見える位置でした。
 伝説では、この日のコンサートは「文句なしに素晴らしい」という事になっています。けちをつける気はないのですが、正直に書くと、僕の印象は少し違います。僕がこの日会場で観たのは、「これから大きく開花する才能の、はじめの一歩」だったと思っています。
 過剰な演出のないシンプルなステージ。ハッタリのない演奏と歌。あの「Hallelijah」のときには、この会場にはジェフと自分しかいないんじゃないか、と思うほどの濃密で張りつめた空気(観客はみんな、息を詰めるようにして聴いていました)。
 どれもこれも、ジェフの才能の非凡さを物語るものばかりです。けなしようがありません。でも僕は、コンサートが終わって会場から駅に歩くときにこう思ったんです「ああ、大きな才能の、第一歩を観られてよかった」と。
 すばらしかったと書いた演奏と歌は、ときとして線が細すぎてはらはらするような部分がありました。ジェフは十分すぎるくらい歌が上手かったですが、あの日の会場(日本青年館)以上の会場ではそのニュアンスが伝わらないような気がしました。ステージ進行も、およそ90年代にデビューした新人とは思えないほどサービス精神のないもので、人気があれ以上上がってきたら、いろいろ軌道修正しなきゃならないんじゃないかな、なんておせっかいなことを考えてしまうような感じでした。
 それでも、この日のコンサートが「よかった」と(今でも)思えるのは、そういったこなれていないところ、線の細さというところも含めて、素直に「才能の大きさ、可能性の大きさ」を実感できたからです。完成したものではなく、これからこの人が進み始める長い長い道の、最初の時期に対面できた、と心から思えたからです。きっと大物になるよ。きっと尊敬される存在になるね。そうしたら「あのジェフ・バックリィの初来日コンサート行ったんだ」とみんなに言えるね。そんな風に思えたんです。実はこの日、僕は夜明け前から仕事をしていて、くたくたに疲れた状態でコンサートに臨んだんですが、コンサートの最中は眠くもならず、疲れたことも忘れていました。まだ世に出る前の才能に立ち会えたのは、音楽ファンにとって幸福の一つです。
 ・・・さて、そろそろ悲しい現実に戻らなければなりませんね。僕が感じたのとは全然違う意味で、あの日のコンサートは伝説になりました。まだ新人格だったはずの彼は、今では「伝説のミュージシャン」として高く評価され、ライブ音源や未発表テイクも発表されています。死になにか特別な価値観や意味を持たせてなにかを特権化することは、僕は好きではありません。僕は心から彼の死が惜しいことだと思っています。死んで「伝説」になるなんて彼だって望まなかったでしょう。でも、聴けたかもしれないたくさんの名作と引き替えに、ジェフ・バックリィの名前といくつかの記録が、今も僕たちと共にこの世にあります。僕たちにできることは、それを大切に聴き続けることだけなのでしょうね。